黒糖焼酎

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奄美の波乱万丈の歴史から生まれた

「黒糖焼酎」という名の文化

鹿児島から遥か南、370kmの位置に奄美大島がある。その島から沖縄までの間の8つの有人島を総して、奄美群島と呼ぶ。奄美大島の中心にある「屋仁川通り」は、通称「やんご通り」と呼ばれ、100mの通りに300軒もの飲食店が並ぶ、鹿児島で2番目に大きい飲み屋街だ。

はじめて飲んだ黒糖焼酎は『長雲』という銘柄だった。一升瓶から大きめのロックグラスになみなみ注がれた一杯は、どこか懐かしい甘い香りがしたのに、口に含むとガツンと重いパンチがきて、あとには南の島の空港に降り立ったときのような ”もわっ” とした気配が広がった。

 

黒糖焼酎は、その名の通り黒糖を主原料にした焼酎だ。奄美群島だけで造られていて、正しくは『奄美黒糖焼酎』という。なぜ奄美群島だけで造られているのか?そこには奄美の島々の複雑な歴史が絡んでいる。

 

奄美群島は、中世あたりまでは日本の領土とされながらも、統治のおよばない独立した地域とされていた。しかし、15世紀に成立した琉球王国が幾度も奄美に軍事侵攻を仕掛けるようになり、15世紀中ごろには琉球の統治下になった。その後1609年には、薩摩・島津藩による侵略を受けて、今度は琉球ともども薩摩藩の支配下となったのだった。

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そんななか中国からサトウキビの栽培および製糖技術がもたらされる。薩摩藩は黒糖を特産品にしようと、奄美の人々に黒糖の生産を命じ、年貢として納めさせ、そのすべてを監視下に置いた。黒糖を作っても庶民の自由にはならず、黒糖で酒を造るなどもってのほか。人々はシイの実や粟、ソテツなどで焼酎を造っていたという。

 

明治時代になると庶民にも黒糖が手に入るようになったが、酒造は免許制に。それでも奄美各地の家庭では、黒糖ほかさまざまな原料を使って自家製の蒸留酒を造り続けた。政府は税収確保のために自家製造を禁止し、集落ごとに共同の酒造所を設けるように指導したらしいが、全体を掌握することはできなかったとされている。

1916年、喜界島で喜禎酒造所(現朝日酒造)が開業。 1922年には、奄美大島で弥生焼酎醸造所が開業。このころから販売を目的とした蒸留酒の製造が本格化した。しかし黒糖の蒸留酒だけでは需要をまかないきれず、多くの蔵は泡盛をメインに造り、しかも半分以上を沖縄や鹿児島からの移入に依存する状態だったのだとか。

 

第二次世界大戦後、奄美群島は沖縄とともにアメリカの統治下に置かれた。流通が制限され、泡盛の原料である米は不足する一方で、黒糖は販売先がなくなって余ってしまうことに。そこで米の代わりに黒糖で蒸留酒を造ろうということになったのである。

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もうお気づきかと思うが、この文章のなかには『黒糖焼酎』と『黒糖の蒸留酒』という表現がある。同じように思えるけれど、じつは大きな違いがあって、黒糖焼酎はもちろん現在の店頭に並んでいる、あの黒糖焼酎だ。でも明治から大正、昭和、アメリカの統治下にあったときに造られたのは黒糖の蒸留酒であって、黒糖焼酎ではない。

 

お酒は、酵母という微生物が原料の糖分をアルコール発酵することで造られる。米や麦や芋が原料だと、まず麹菌を使って、それらのデンプン質を糖分に変えなければならない。でも黒糖は糖なんだから、麹菌に頼ることなく発酵が可能。サトウキビの搾り汁や糖蜜を原料に造られるラム酒に近い製造方法である。

 

1953年12月、奄美群島は沖縄に先駆けて日本に返還されることになった。ところが困ったことに、日本の酒税法では、糖類を焼酎の原料にすることは認められてなくて、黒糖の蒸留酒はスピリッツに分類されてしまうことがわかる。そうなると、焼酎より30%近くも高い酒税を課せられてしまうのだ。

 

それは、たいへん! 奄美の人々が愛飲してきた黒糖の蒸留酒が買えなくなるし、蔵も造れなくなってしまう。各蔵で構成する酒造組合や関係機関が国税庁へ陳情。その結果、奄美群島だけの特別の措置として、一次仕込みに麹菌を使う本格焼酎の製法を取り入れることを条件に、黒糖焼酎を造ることが認められたのである。

 

黒糖焼酎の基本的な製法は、まず蒸した米に麹菌を繁殖させた米麹を造り、酵母と水を加え、主原料である黒糖を加えて発酵させる。黒糖はサトウキビの搾り汁を煮詰めた固形物なので、それを各蔵それぞれの方法で溶かして加え、発酵したもろみを単式蒸留器で蒸留。代表銘柄の多くはアルコール度数30度で出荷される。

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現在、黒糖焼酎を造る蔵元は全部で25。鹿児島から約370kmのいちばん大きな奄美大島に9つ。その東の喜界島に2つ。南の徳之島に7つ。もっと南の沖永良部島に6つ。沖縄本島までわずか23kmの与論島に1つ。

 

これらすべての蔵めぐりをした書物が出版されている。『あまみの甘み あまみの香り(西日本出版社)』で、著者は鯨本あつこさんと石原みどりさん。専門家による名酒事典みたいな解説ではなく、ふたりが実際に奄美で人とふれあい、あちこちで呑んだくれたレポートのようで楽しい。

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© K.P.V.B

2021年7月、奄美大島と徳之島が世界自然遺産に登録された。アマミノクロウサギに代表される希少で多様な生物が棲息していることが評価された結果だ。このような奄美の自然に魅せられて、奄美を終の住処とした画家がいた。

 

田中一村。栃木県で生まれ、50歳のときに奄美大島に渡って、大島紬の染色工として働きながら、生涯、奄美を描いた。アダンやクワズイモなどの植物や鳥や昆虫を描いた絵は、亜熱帯地方の明るさよりも、その明るさによってできる深い影を訴えかける。

 

奄美黒糖焼酎をグラスに注ぎ、ゆったりとした気分で一村の画集をめくる。スピーカーからは奄美シマ唄。琉球民謡とは違う、なぜか少し悲しくなってしまう音階とファルセットの唄声は、奄美の島々が辿ってきた歴史を思わせ、そして、黒糖焼酎の味わいをしみじみと深くするのだった。

 

 

<参考文献>

あまみの甘み あまみの香り 著/鯨本あつこ・石原みどり 発行/西日本出版社

鹿児島の本格焼酎 著/鹿児島県本格焼酎技術研究会 発行/春苑堂出版

【おすすめ黒糖焼酎】

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長雲
山田酒造(奄美大島)

家族経営の小さな蔵で手づくりされる酒。生産量が限られるため入手しにくいが、黒糖焼酎を飲み慣れた人が最も黒糖らしいという。濃厚で芳醇。

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龍宮
富田酒造場(奄美大島)

伝統製法を守り、黒麹で仕込み、仕込みの全行程を甕で行う唯一の蔵。味わいに重厚感があり、水割りにしてもしっかりした香りとうまみがある。

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飛乃流 朝日
朝日酒造(喜界島)

全日空(ANA)国際線ファーストクラスに採用。米麹に国産米を使い、低温でじっくり発酵させた。華やかでフルーティな香り、やわらかな味わい。

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天下一
新納酒造(沖永良部島)

沖永良部で黒糖焼酎を作り続けて100年以上の蔵元の代表銘柄。伝統的な常圧蒸留を頑なに守る。黒糖の割合が多いため風味が強く、コクがある。

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しまっちゅ伝蔵
喜界島酒造(喜界島)

どこか懐かしい黒糖のやさしい甘さが香るが、糖分はもちろんゼロ。喜界島酒造の酒は「くろちゅう」の名で親しまれ、コクがあり、味わい濃厚。

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奄美の杜
町田酒造(奄美大島)

減圧蒸留による代表銘柄「里の曙」をさらにスッキリとさせた軽快な酒。ラベルは、奄美を愛した孤高の画家・田中一村の「初夏の海に赤翡翠」。

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紅さんご
奄美大島開運酒造奄美大島)

黒糖の甘い香りとオーク樽によるバニラ香が融和した長期樽貯蔵タイプ。東京ウイスキー&スピリッツコンペティション焼酎部門で第1位を獲得。

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はなとり
沖永良部酒造(沖永良部島)

減圧蒸留によってスッキリ仕上げた現代的な黒糖焼酎。独特の風味を残しつつ、クセのないさらっとした飲み口で、とても飲みやすい。25度・20度

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昇龍
原田酒造(沖永良部島)

長期貯蔵にこだわり、5年熟成を経て出荷。樽貯蔵酒もブレンドされている。香りに独特の酸が感じられ、口に含むとまるで黒糖を舐めている甘さ

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せえごれ
西平本家(奄美大島)

無濾過仕上げによるトロリとした味わいが特徴。「せえごれ」とは奄美の言葉で酒呑みのこと。題字とウサギのイラストは元ちとせさん作。25度。

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一村
町田酒造(奄美大島)

オーク樽貯蔵した原酒を絶妙なバランスでブレンド。黒糖の香りとバニラ香により高級ラム酒のような風味。ラベルは田中一村の「アダンの海辺」

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碧い海
弥生焼酎醸造所(奄美大島)

黒糖焼酎では珍しい黄麹を使っており、華やかで芳醇な香りと丸みのある旨みが楽しめる。綺麗な青いフロストボトルは奄美の海のイメージ。25度