ARAK
西へ東へ伝播しながら世界の酒を育んだ
蒸留酒のルーツ「アラック」とは?
アラックは、中東から北アフリカ、アジアの各国で伝統的に造られてきた蒸留酒の総称だ。発祥の地は今のイラクやシリアあたりとされていて、語源はアラビア語の『araq=汗の雫』。熱せられた酒の蒸気が冷やされて凝縮し、蒸留器からポタポタと滴ったさまを例えたのだろう。
そもそも蒸留という技術が発明されたのもこのあたりで、メソポタミアの遺跡からは、花から香油を抽出していたらしい蒸留器が発見されている。今日の酒造につながる蒸留技術が発展したのは、9〜12世紀ごろ。鉄や水銀から金や銀を作り出そうとした錬金術のはかない試みから『アランビック』と呼ばれる蒸留器が開発され、これが蒸留酒誕生のキッカケとなった。
アランビックによって造られた酒が世界初の蒸留酒であり、それが元祖アラックなのだろうが、どんな酒だったのかは特定できない。なぜなら、アランビックが開発された地域ではイスラム教の『コーラン』によって飲酒が禁じられるようになっていて、イスラム勢力の拡大とともにアランビックが伝播していったキリスト教国で、ビールやワインを蒸留したのが最初かもしれないからだ。
いずれにせよ、蒸留酒は当時ヨーロッパで猛威を振るっていたペストから身を守る『生命の水』として重宝され、蒸留技術はヨーロッパ全土に広まった。そうしてロシアのウオッカ、フランスのブランデー、オランダやイギリスのジン、スコットランドのウイスキーを生み出し、さらには大西洋を渡ってラム、テキーラ、カシャッサなどを誕生させていったのである。
しかしアラックが、アランビックが開発されたイスラム圏で誕生したのなら、原料は中近東で古代から栽培されていたナツメヤシか。その果実はデーツといい、7cmほどの楕円球形の実が鈴なりに実る。栄養豊富なスーパーフードで、かのクレオパトラも愛食していたとか…。
酒はタブーのはずのイスラム圏で、なぜ?と思うけど、国によってはわりと柔軟なようだ。現在、たとえばヨルダンはブドウの産地として有名で、ワインがおいしい。アラックも造られている。そのほかシリアやレバノン、イスラエル、パレスチナなどのアラックもネットで見つけることができた。
これら諸国のアラック=ARAKは、いずれもブドウを原料とした蒸留酒にアニスシードを加えて再蒸留してある。スターアニスと書かれていたり、写真に星型の実が写っているサイトがあるが、あれは間違い。アニスシードは地中海沿岸原産のセリ科の植物の種で、スターアニスは中国を原産とする八角。香りの成分は同じだが、ぜんぜん別の植物である。
中東地域のアラックのアルコール度数は40〜50度で無色透明だが、水で割ると白濁するのが特徴だ。トルコのラク=RAKIは干しブドウを原料にした同系の酒で、同様に白濁することから「ライオンの乳」などと称されている。いずれも香りは、もろ薬草という感じ。飲むと口の中がスースーする。
高級レストランや免税店で扱っている外国人向けのアラックではなく、ムスリム庶民のためにひっそりと造られているアラックもあるようだ。もちろん厳格なイスラム教徒は飲まないだろうし、飲む人も公の場で飲んではしゃぐことはないというが。
ノンフィクション作家の高野秀行さんの著書『イスラム飲酒紀行(講談社文庫)』では、あちこちで「酒あるか?」と聞いては「ここにはない」と断られ、それでも何とか酒に辿り着いてしまう様子がおもしろく描かれている。あるところには、あるし。飲む人は、飲んでいる、といったところか。
しかし、よくよく考えてみたらイスラム教よりも人類の飲酒の歴史の方がずっと古く、もともと飲んで楽しんでいたのがダメということになったわけだから、このへんのところは建前と本音みたいなものがあるんじゃないのかなあ…。
さて、アランビックによる蒸留技術は東洋へも伝播し、アジア各地の伝統的な醸造酒を蒸留することで、地域ごとに特徴のあるアラックが生まれていった。
スリランカのアラック=ARRACKは、ココヤシの樹液(トディ)を発酵させ、蒸留する。花房の根元を切ったところに容器をセットしておき、Toddy Tapper(トディタッパー)と呼ばれる職人たちが、高さ20mにもなる木をスルスルっと登り、木と木の間に張り渡された2〜3本のロープを伝って移動しながら樹液を採集する。慣れてはいても、当然、危険がつきまとう。木に登る前にはココヤシに感謝の祈りを捧げ、安全を願うことを忘れない。
スリランカのアラックは木樽貯蔵された琥珀色のものが多く、樽には『ハルミラ』という地元の木材が使われている。昔『ズームイン!!朝!』という番組で、ワンポイント英会話を担当していたウイッキーさん。スリランカ出身で、帰郷した際にはアラックを手みやげに日本へ戻られたとか。ご自身もお好きで「ロックにしてライムを搾って少しずつ楽しむのが好き」とクロワッサンONLINEの記事(文・嶌陽子氏)にあった。
国民の90%近くがムスリムのインドネシアでは、ヒンドゥーを信仰するバリ島でアラック=ARAKが造られている。原料はスリランカと同じココヤシの樹液や米、サトウキビ。ラベルに凝った観光客向けの市販品もあるが、島民や長期滞在者たちが飲むのは、もっぱら空のペットボトルなどに入れてくれる量り売り。地元では宗教的な儀式に欠かせなく、アラックを神々に捧げて悪霊を取り払ってもらう。
2009年、工業用のメタノールが混入した偽造アラックが市場に出まわってしまい、これを飲んだ23人が死亡、18人が病院に運ばれる事故が起きた。だいぶ前のことなので、もう市場からは姿を消してると思うけど、現地で購入する際は気をつけたい。蒸留しているところへ行って直接購入すると安心だ。
アジアにはこれらのほかにもアランビックによる蒸留技術が伝播したことで生まれた蒸留酒がいくつもある。乳酒を蒸留したモンゴルのアルヒ(ARKHI)、シコクビエなどの穀物にマンゴーやバナナを加えて造ったネパールのラキシー(RAKSI)、ブータンのアラ(ARA)、みんなどこかアラックに似ていておかしい。
日本の本格焼酎も、江戸から明治にかけては『阿刺吉酒(アラキシュ)』という別名があった。そして、これはつい最近までのことなのだけど、蒸留器は『蘭引(ランビキ)』と呼ばれていたのだ。そう、アランビックである。
【おすすめアラック】
ARAK TOUMA
アラック トウマ
白ブドウとアニスシードを原料にしたレバノンで最もポピュラーなアラック。水割りで独特の香りをラム肉料理といっしょに楽しむのがベスト!
KSARAK
クサラック
レバノンでは食中酒としてワイン以上によく飲まれている。原料は白ブドウとアニス。アルコール度53%の原酒を2年間甕で熟成させた上級品だ。
CEYLON ARRACK
セイロンアラック
1924年創業のロックランド社製。ココナッツの花の樹液を天然発酵・蒸留し、スリランカ固有のハルミラ材の樽で長期貯蔵熟成させた高級アラック
OLD ARRACK
オールドアラック
ココナッツの花から採取した樹液を原料に、チーク材の樽で熟成。製造元のIDL社はアラックのほかワインやブランデーも製造する総合酒造企業。
ARAK of BALI
アラック オブ バリ
ココナッツの花の樹液とインドネシア産の米が原料。ココナッツウォーターのような甘い香り。民芸品のような凝ったデザインは日本向け輸出仕様
Arak Putri
アラック プトゥリ
最もポピュラーなバリアラック。ココナッツの甘い香りとスッキリした味わいが特徴で、カクテルにも向く。製品名のプトゥリはプリンセスの意。
YENi RAKI
イエニ ラク
500年以上の歴史を持つトルコで最も飲まれているラク。初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクが愛飲していたことでも知られている。
DOUBLE DISTILLED
ダブルディスチルド
スリランカアラックのパイオニアDCSL社のピュアココナッツアラック。単式蒸留器で2度蒸留することにより、よりピュアでスムーズな味わいに。
ARAK BERAS
アラック ブラス
BERASは米の意。ココナッツ樹液のほかバリ島で最良とされるシガラジャ米を多用。原料の10%に赤米を使っているため、酒はほのかにピンク色。