にごり湯 にごり酒
雪化粧した山の懐に抱かれるようにして佇む、ひなびた温泉宿ほど旅情をそそるものはない。あたりには白い湯煙が立ち昇り、かすかに硫黄の匂いが漂ってくる。乳白色のにごり湯の、体にやわらかいこと。しばし、冬枯れの木々と雪が織りなす美しい景色を眺めていようか。
わが家の小さな浴室の中で、そんな妄想をしている。冬本番。この季節のいちばんの贅沢は、やはり温泉だ。しかしなかなか旅行にも行きづらい時分でもあるので、どうしたものかと思案してたら、ラジオからおもしろいニュースが流れてきた。
入浴剤が、めっちゃ売れてるというのだ!
わかるわかる、それ! 行きたくても、温泉、行けないからせめて、居ながらにして温泉気分を楽しもうということだ! ユニットバスを岩風呂に改造するのはムリだけど、ドラッグストアで買ってきた「温泉の素」を投下して目をつぶれば、昔懐かしい風情のある秘湯の景色だって思い浮かべられる。
あ〜いい湯だったな。と風呂から上がると、まもなく食事の時間になろう。温泉宿の夕食といったら、欠かせないのが日本酒。しかし今どき流行りの華やかですっきりキレイな日本酒では、ちょっと情緒がなさすぎないか。ここはもうちょっと昔造りな酒がいい。ということで、にごり酒を冷蔵庫に冷やしておいた。
にごり酒というように、酒質は透明ではなく白く濁っていて、まったりとしている。濁りの成分は滓(おり)と呼ばれるものだ。
日本酒の基本原料は、米と米麹と水。酵母によってアルコール発酵が進むと、ドロドロのもろみができあがる。酒の液体だけでなく、原料の粒つぶや分解物、酵母などの固形物が含まれているからで、これを液体と固形物に分けるために、上槽という作業を行う。もろみを目の細かい布袋などに入れて搾って濾すのだ。
こうしてはじめて日本酒は透明に近い液体になり、これが正式名称『清酒』のゆえんである。酒税法では、濾すことが清酒の定義。袋に残った固形物は酒粕だ。
この清酒に対して『濁酒(だくしゅ)』、つまり濾してない酒もあって、『ドブロク』と呼ばれている。酒税法上は『その他の醸造酒』という区分だ。白くドロドロで、もろみの風味そのまま、甘みが強く、少し酸っぱい。
にごり酒は、この中間で、目の荒い布袋で漉されている。ドブロクに近い風味がありながらも、漉されているから分類上は清酒になる。
ドブロクは弥生時代から造られていたとされるが、濾す技術は奈良時代すでに存在したようだ。書物や木簡に「清酒(すみさけ)」の文字が発見されている。
とはいっても清酒を造るには高度な技術を要し、とても高価だったので、飲めたのは武将や富豪など特権階級だけ。一般庶民が親しんだのは民間・自家醸造されたドブロクで、その手づくり感のある素朴な味わいこそが、まさに庶民の酒だったのである。
しかし明治時代になると、酒税法によって酒を造るには酒造免許が必要になり、民間のドブロク造りは禁止された。それでも昔ながらのドブロクが飲みたいという声は強く、近年「ドブロク特区」として規制が緩和。特区内で自家産米で仕込み、自ら経営する民宿などで提供するためならドブロクが造れるようになったのだ。
お酒と文化
INDEX
桜・さくら・サクラ
山ホトトギス 初鰹
夏越の祓・夏越の酒
風呂敷に包む
涼呼ぶ みぞれ酒
名月と ひやおろし
焼酎ヌーヴォー解禁
燗酒を風流に
トンソクとお湯割り
にごり湯 にごり酒
梅にウグイス
春近し、ふきのとう
さて、風呂上がり。冷蔵庫から、にごり酒を取り出した。キャップを開ける前に瓶をやさしく揺すって、下の方に溜まっていた滓を均一にする。そして、大きめのぐい呑みに注ぐと、土の塊のようなゴツゴツした酒器から、もろみの甘酸っぱい香りが立ち昇ってきた。
口に含むと、まったりと甘いのに、みずみずしい爽やかさもある。このにごり酒は、搾ってから一度も火入れをしていない生の酒だから。発酵したもろみを粗濾ししただけの原酒なので、できたてのフレッシュ感があるのだ。そのうえ水も一切加えてないので、アルコール度数は日本酒としてはかなり高い21度。
にごり酒には、旬の食材を使った鍋料理や濃いめの味付けの料理が合う。この日のメインは、脂ののった寒ブリの粗塩焼き。甘さと塩っぱさが互いの旨さを引き立て合う。旨みが濃厚なので、食事が済んだあともアテなしでイケルイケル。にごり湯&にごり酒で、体も心もポカポカ。おウチ温泉の夜は、静かに静かにふけていったのだった。
【オススメにごり酒】
五郎八
菊水酒造(新潟)
いかにも田舎っぽい名前は越後民話に登場する山賊頭領の名だとか。火入れをしてない生原酒なので、甘くコクがあるのに爽やかさもあって旨々!
純米 白川郷
三輪酒造(岐阜)
飛騨はドブロクの聖地。その代表銘柄ともいえる純米にごり酒の白川郷は酒造米をふんだんに使った極甘口。合掌造りの美しい集落を想いながら。
飛騨のどぶ
渡辺酒造店(岐阜)
飛騨で一番濃いにごり酒を公言。1ccあたり3億の酵母、一升瓶では5兆4千億もの酵母が存在するのだとか!大量生産を断固拒否する信念を貫く蔵。
福正宗 しろき
福光屋(石川)
特別栽培米フクノハナを100%使用。瓶詰め後も酵母による発酵が続いている発泡性にごり酒。日本酒度0度で甘くなく、フレッシュでキレがいい
越乃八豊 おりがらみ
越後酒造場(新潟)
おりがらみは、清酒同様に濾しながらも、かすかに澱を残したままの酒。純米吟醸酒のような華やかな香りとスッキリとした辛口の味わいが特徴。
発泡にごり酒 八海山
八海醸造(新潟)
日本酒度−23度の超甘口なのに、細かな炭酸の泡がシュワーっとはじけて爽やかな後味。スパークリングワインのように洋食に合わせてもおいしい